ステンドグラスの窓なら璃房へ 東京から日本全国対応いたします
孤独なステンドグラス屋
ステンドグラスを仕事にしている人は個人が多いと思いますが、仕事にならない日ってないのかな。私はダメな日がありボーッとしたり東京散歩(徘徊に近い)したり。
今日がそれで仕事は一向にはかどらず。今週は久しぶりに教室がないので朝方に切り替えて夕方には終わるつもりでした。でも2度寝、3度寝で部屋を10時過ぎ出て、フリーマーケットで1時間。工房についてアイスクリームを食べて1時過ぎから仕事。
歯車が狂ったのは昨日の夕方から。予定では。
3時に工房を出て歩いて新宿の本屋へ。蝶の資料集め
4時半にデパ地下でお惣菜を買う。
5時過ぎに部屋(住まい)に戻り掃除、風呂、腹筋をすませ。
7時半には残っていたワインとチーズとお惣菜でゆっくり食事。
読書して11時には寝る。
翌日は5時起きる。でした。
本屋で蝶の写真集を買ったまでは良かったが、その後パチンコに行ってしまった。帰りはラーメンやで餃子にラーメン、最近好きな瓶ビール。勢い良くつぐ。(泡だらけ)
散らかった部屋に戻り自己嫌悪。あ~ダメダメな日だ。風呂にも入らず寝た。
そんな日がたまにあります。何のために生きているんだ。作品を残さないと人生なんてあっという間に終わってしまうぞ。なんて考えたり。
今日は、これから昨日のやり直し。お惣菜を買いに行き。掃除をします。
ユリに合わせる蝶のデザインも決まったし(単純な形にしました)
明日は早朝からがんばろう。
自分でも、なんて面倒な性格だろう・・・と思うことがあります。
ちなみにフリマでは矢沢永吉、ベストを200円で購入。イエス・マイ・ラブとかコカ・コーラの歌が入っているやつ。懐かし~中学時代だよ。
タコの滑り台2
タコは生きていた。一昨日写した写真。
月曜は高速バスで山梨から帰って来ました。バスで隣り合わせた困ったおばさまの話。
バスの出発時間際に「運転手さん待ってて~」とバス内にも聞こえる声で叫んだおばさんは、それからチケットを買いに行きバスは7分遅れで出発。手提げ袋3つとリュックを背負って「すみません、すみません」と乗客に頭を下げながら私の隣に座った(けっこう良い人かも)。「上に乗せましょうか」私は珍しく優しさを披露。っが断られた。
座ると手提げ袋の中身をがさがさ、がさがさ。椅子のフックに2つかけ中身を出しては他の袋に入れようとして、やっぱりやめて元に戻した。(なんか感じるこの気配、嫌な気ががする。)こちらまではみ出た袋は私の足に当たっていても気にしていない・・・
オッケー私が足をずらせばいいのね、ッとちょっと足をずらすと、すばやく3つ目の袋もかけた。それからカーテンをいじり、髪をいじり、落ち着きがない。ハ~ため息が聞こえ椅子に深く寄り掛かった。これで静かになる~と思った瞬間、「ハッハッッ!」笑い出した。おいおい~。
それから思い出し笑いと1人言が始まった。戸籍がどうのこうの。モデルがどうのこうの~急に笑い出し、静かになったと思うとすぐ始まる。後ろに座っていて老夫婦もそれに気付いたらしく、さっきまで言っていたバス会社へのクレーム話しが止まった、無声音で「困ったね~」っと聞こえてきた。
プッ(笑)突然始まる。
やっぱりドーム。?。
箱根はこね、小田急で。
それがお気に入りの1人言。
きっとこれは神様が与えた試練だ、私がこれぐらいでイライラする訳がない。
そうだ!本を読もう『はじめての人でも取れる!デジタル1眼レフきほんBOOK』があった。
本を開いていても話す言葉が気になる。老夫婦が「もうすぐバイパスだね~」隣のおばさんが反応した「バイパスだって(笑)」それからしばらくバイパスと言っては笑った。
「バイパスだって」
「最近の人は何考えてるか分からない」(おまえだろ)
「私は賛成派」(何の?)
「タイミング、タイミングとチャンス」(っどうしちゃったの?)
あ~も~イライラする。
オッケー分かった!つき合おう。これから10分間にどれだけ1人言を言うか書き留めよう。
ルーズリーフを1枚取り出し、9時28分から10分間ね。
「あんたもだよね~あんたも止めておいた方がいいよ~」
「fっstlddッjks」(何言ってるか分からなかった)
(笑)「言わないよ~言ったら東京の次がjfjdん?ぁ」
「やっぱりドーム」(笑)「絶対ドーム」
(笑)「若いし」(笑)「恐いよねー」
おばさんの1人言が止まり、視線が私の手元に、「やばい気付かれたかも」
私はカメラの本を開いた上でメモしていたので、私は勉強しているふりをした。
おばさんは手元と顔見をくり返した。以外と鋭い、読心術でもあるのか。
それからしばらくは静かになった。なので10分間で上の言葉だけ。
しばらくは静かだったが、30分後にまた笑いはじめた。ふー
私が引き寄せているのだろうか。こういう人を。
今日は水曜日で夜の教室が11時まででした。みんなが帰って誰もいなくなった教室でこの長いブログを書いています。どーでもいいようなことさ。
そんなことに時間を使ってしまった。
今日で41歳になりました。
ステンドグラス制作 ユリのデザイン画
ブログもさぼり気味だったので何か載せなくては、と思い悪戦苦闘中のユリのデザイン。ユリのミラーを作ったばかりなのでしばらくやる気が起きませんでしたが、縦長で考えていたデザインをスパッと捨てて横長にしたら、ちょっといいかも。
余白を有効に使いたかったのでイメージに合いそうです。左下はユリで余白にはリアルなアゲハ蝶をッと思いましたが、黄色い蝶を2匹(2羽?数え方は知りません)愛し合うように飛ばしてあげましょう。
春なのね~。
最近、いけばなに興味を持ちはじめた私は、本ではもの足りず自分で活けてみたいと、池坊系に見学のメールを入れました。
今週の教室で生徒に教わったカバラ数秘術の占いに、あまりにもいろんなことを思い付いてしまい1つに集中できない。っと書いてありました。そういえば買ったばかりのデジカメの使い方だって勉強しなくては。
I LOVE MAC。
10年以上Macを使い続けているのに超初心者の私。3ヶ月前に買ったマックブック、いまだにデータの移行ができずにiMacでブログを書いています。
それもどうにかしなくては。
ステンドグラスの間仕切り
前にデザイン画を載せたステンドグラスを納品しました。デザインは少し変更してあります。
今回の取付けは住宅メーカーがしてくれます。設置した所はまだ見ていませんが、工房の階段で写真を撮りました。
面取りガラスや透明なガラスに背景が透けてきれいでした。
鉛線の太さは5~15mmまで使いました。
制作が終わってから納品まで、しばらく時間があったので工房の窓に立て掛けていました。夜、仕事が終わり部屋の電気を消すと、隣のビルの弱い光でも波打っているガラスが光を静かに乱反射させて落ち着いた感じになります。昼のカラフルさとはまた違った表情を見せてくれます。
タコの滑り台
昨日は山梨で教室があった。
帰りは実家から甲府駅まで歩くのだが、道を変えてみると駅近くの公園にタコの滑り台があった。こんなのあったっけ?タコの周りにロープと貼り紙がしてあった。夜だったので読めなかったが、きっと取り壊しになるのかな?と思った。
かつては真っ赤で子供達もたくさん遊んでいただろう。赤い塗装は剥げ落ちさみしそうである。
そして今日の読売新聞、都民板にタコの滑り台の記事がある。作ったのは芸大卒の芸術家の卵で「子供達の想像力を刺激してやろう」複数の曲線が組み合わさった、何か分からない抽象形の滑り台を作った。ヘンリ-・ムーアのような。
「石の山」と名付け、いくつかの公園で採用され自信満々だった。それが区役所の幹部の一言で、その鼻をポキリと折られてしまったそうである。
「これじゃあ何だか分からんなあ。そうだ、頭を付けてタコにするか」
「なんてこった」頭を付けて渋々作った。だが、そんな思いに反して注文が次々寄せられた。
なんでと思い公園に行ってみると、子供達は大喜びしている。やっぱり子供達が楽しんでくれる物を素直に作らなければ、っと思ったそうである。
昨日、帰り道を変えさせ、出会えたタコが私に呼びかけている。タコが私に何か教えようとしている。とは考え過ぎだろうか。私にはそんな思考癖がある。
記事になったタコは40年間愛されて昨年の7月に壊されてしまった。お別れ会では
「タコさん、思い出をありがとう」。子供達の声に制作者は胸が熱くなった。そしてこんなことを思ったそうである。
「頭が付いていないままだったら、こんなに愛されることはなかったかもしれない」
小川三知の本
whitecoatさんのブログで知った三知の本を買った。
写真の割合が多く、情報量も期待以上だった。これで3150円なら満足だ。
日本のステンドグラス 小川三知の世界
文 田辺千代 白揚社
生徒からも取り寄せて欲しいと言われているので注文するつもりだ。
梅と竹のパネルは拡大写真で見れた。コメントをいただいた背景は、たしかにCX12より薄いサンゴバンじゃないみたいだ。白と黄の色むらがある。教えていただいた、もう製造してない物かもしれない。
ユリは製作していた。でもイメージした物とは違う。
コブシとアジサイみたいな構図の梅と欅のパネルもある。見たことのない作品が見れてとても参考になりました。
関係ない話だが
アートスクールに通いだして半年間はバイトもせず預金で暮らしました。
地下鉄は慣れてないので、最寄り駅が東横線の多摩川園で、川沿いに大きな公園のある環境の良いところにアパートを借りました。
当時アートスクールは週5で土曜日も自由に使えたので週6で通いました。学校が終わると銭湯に行き、若貴×曙の相撲を見る、そんな日々だったと思います。
秋になりバイトを始めました。缶詰工場からより良い時給を求めて居酒屋で終電まで働きました。新規オープンのお店でとても忙しく、新しい主任が来るまでの半年間、まかないも食べれず終電ギリギリまで働きました。(苦労話じゃない、苦労した気はまるでないのだから)
駅からアパートまでの途中、中原街道沿いにラーメン屋があり、よくそこで遅い晩ご飯を食べました。いつも1時過ぎに現れるので、マスターもバイト帰りだと分かっていたのでしょう、「サービスです」っとよく卵をくれました。
ある日、常連さんらしい人との会話で「今日で店を閉めます」ッと聞こえてきました。今まで会話などしたことがありませんでしたが、何か言わなくちゃ、卵をいつもありがとうとか、店がなくなると困るよ、とか何かねぎらいの言葉を・・・
「ごちそうさま」と結局いつもと変わらない言葉で店を出ました。
ここで何か言ってあげたらどんなにうれしいだろう。どんなに救われるだろう、という言葉を、人生のいろんな場面で私は言わなかった気がします。
もう15年も前のことですが、よく憶えています。
先週の生徒の発注はよく忘れるくせに。
きっといつも1言足りない私に何か教えたいのかな。
ありがとうとかごめんなさいとか、褒め言葉もあまり言わないね。
そんなことを考えている間にもうすぐ41歳です。
きっとさくらが綺麗に舞い散っていたからでしょう・・・ってサクラは関係ないか。
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五味理
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